聖書を調べて神様のみこころを学ぶ

〜みこころのままに生きるために〜

神の宮とは  コリント第一 3:16〜17

あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることをしらないのか。

神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。

なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。

 

ダビデの美しい歌 〜詩篇19篇1〜11

もろもろの天は神の栄光をあらわし、

大空はみ手のわざをしめす。

この日は言葉をかの日につたえ、

この夜は知識をかの夜につげる。

話すことなく、語ることなく、

その声も聞こえないのに、

その響きは全地にあまねく、

その言葉は世界の果てまで及ぶ。

神は日のために幕屋を天に設けられた。

日は花婿がその祝のへやから出てくるように、

また、勇士が競い走るように、その道を喜び走る。

それは天のはてからのぼって、

天のはてまで、めぐって行く。

その暖まりをこうむらないものはない。

主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、

主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。

主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、

主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

主を恐れる道は清らかで、

とこしえに絶えることがなく、

主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。

これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、

また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。

あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。

これらを守れば、大いなる報いがある。

 

好きな聖句です。

天に幕屋があり、花婿がその祝の部屋から出てくる。

福音書にも花婿の記述出てます。

 

 

 

 

 

主の祈りはもう不要ですか?

ユーチューブの牧師の説教を聞いていました。

なかなか、わかりやすかったのですが、

『「イエス様はこのように」といわれた

お手本として出されただけだけだから

まったく同じに祈る必要はない

そして、

もう私達は許されているのだから

許してくださいというのはおかしいですね』

本当にそうでしょうか。

 

エス様が教えてくださった祈り

 マタイ9〜13

 「天にいます私たちの父よ

 御名が聖なるものとされますように。

 御国が来ますように。

 みこころが天で行われるように、

 地でも行われるように、

 私たちの日々ごとの糧を、今日もお与えください。

 私たちに負い目のある人たちを赦します。

 私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。

 私たちを試みにあわせないで、

 悪からお救いください。」

 

エス様が教えてくださった祈りが

あとから否定されることがあるのでしょうか。

この祈りに勝る祈りは何でしょうか。

 

曽野綾子さんが聖書に関する著書の中でこの祈りのことを

詳しく解説していたのを思い出しました。

この短い祈りに様々な事柄が

凝縮されていて素晴らしいと。

 

また、主の祈りの前の聖句にこうあります。

 マタイ6:7〜8

また、祈るとき、異邦人のように、同じ言葉をただ繰り返してはいけません。

彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。

 ですから、彼らと同じようにしてはいけません。あなたがたの父は、あなた方が求める前から、あなた方に必要なものを知っておられるのです。

 

主の祈りはもう不要ですか?